親子喧嘩
2004年11月26日実家に寄生?していた頃、母とはよく喧嘩をした。
彼女はひやきおーがんでも飲ませたろうかと思うくらい
癇のきつい人で、有ること無いことまずきーきー怒る。
まあ、やりあううちに根負けするのは母の相手をする方であって、
(っつーか、同じテンションだと非常に疲れるのです)
時には、さらにその腰引けぶりが母の癇癪を激化させる元にもなり、
最終的には「どないせーっちゅうねん」とへとへとになることも。
こどものころは、今じゃ虐待よっ!と言われかねない躾もされ
幼心に結構恐い母でありました。
年をとるごとに、自分にも母にそっくりな面があることに
だんだん気付き、実の母娘とはげに因果なもんかと思い始め
本来なら嫁に行くべきところだったんでしょうけど、
あるとき許しを得て、私は親と離れて暮らすことにした。
親離れといえば聞こえがいいけど、要は同極相反するわけで、
一緒に暮らすには少々気が重かったといいましょうか。
ただ、どんなに鬱陶しくとも親を恨んだことは一度も無い。
ましてや殴ろうとか殺そうなんて考えたことは。
こどもはいつか親の庇護から旅立つべき。
結婚でも、就職でも、単なる独り暮らしでも。
ま、物理的でなくても、せめて精神的や経済的にはそうあって欲しい。
そこへ向かわせる動機がどこで見つかるかは本人次第だけど。
力なく息絶えた肉親を目の前にして、彼らは何を思ったんだろう。
彼女はひやきおーがんでも飲ませたろうかと思うくらい
癇のきつい人で、有ること無いことまずきーきー怒る。
まあ、やりあううちに根負けするのは母の相手をする方であって、
(っつーか、同じテンションだと非常に疲れるのです)
時には、さらにその腰引けぶりが母の癇癪を激化させる元にもなり、
最終的には「どないせーっちゅうねん」とへとへとになることも。
こどものころは、今じゃ虐待よっ!と言われかねない躾もされ
幼心に結構恐い母でありました。
年をとるごとに、自分にも母にそっくりな面があることに
だんだん気付き、実の母娘とはげに因果なもんかと思い始め
本来なら嫁に行くべきところだったんでしょうけど、
あるとき許しを得て、私は親と離れて暮らすことにした。
親離れといえば聞こえがいいけど、要は同極相反するわけで、
一緒に暮らすには少々気が重かったといいましょうか。
ただ、どんなに鬱陶しくとも親を恨んだことは一度も無い。
ましてや殴ろうとか殺そうなんて考えたことは。
こどもはいつか親の庇護から旅立つべき。
結婚でも、就職でも、単なる独り暮らしでも。
ま、物理的でなくても、せめて精神的や経済的にはそうあって欲しい。
そこへ向かわせる動機がどこで見つかるかは本人次第だけど。
力なく息絶えた肉親を目の前にして、彼らは何を思ったんだろう。
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