マヤマヤのような教師に
2005年9月20日 趣味
教えて欲しい、という小学生が
わんさか、らしい。
始まったときは非難ゴウゴウだったのに。
「良し悪し」は主観的だし、年代や環境によっても違う。
しかも、こういう学園ものって、得てして自分の経験と比べたり
置き換えてみたりするもんで。
で、最終回やっと観る。
教育って、大方結果オーライだと考えられてきた。
成績が上がれば、いい学校に進むことができれば
クラスに問題がなければ、教師の言うことを生徒がよくきけば、
それがいい教育だと今も昔も信じられているのは間違いない。
「結果より過程」とかいう言葉を美化する気はないけれど、
生徒が全力を出し切って奇蹟を生むことに手を貸すのが
教師稼業であると、現役教師の知人が言っていたのを思い出した。
まさしく真矢先生じゃん。
こどもが認識すべきは
数字で出てくる力じゃなくて、
選ぶ学校の価値じゃなくて、
親や教師の顔色じゃなくて、
将来への不安でも将来設計でもなくて、
人間であること、そのものなんだろうな。
おそらくこんな抽象的なこと、
現場じゃ理想論だと笑われるだろうけど。
それにしてもトーンが重く暗かった。
それだけに本質掴んだこどもの顔が晴れ晴れとしてて
ちょっと救われた気になったんだけどね。
わんさか、らしい。
始まったときは非難ゴウゴウだったのに。
「良し悪し」は主観的だし、年代や環境によっても違う。
しかも、こういう学園ものって、得てして自分の経験と比べたり
置き換えてみたりするもんで。
で、最終回やっと観る。
教育って、大方結果オーライだと考えられてきた。
成績が上がれば、いい学校に進むことができれば
クラスに問題がなければ、教師の言うことを生徒がよくきけば、
それがいい教育だと今も昔も信じられているのは間違いない。
「結果より過程」とかいう言葉を美化する気はないけれど、
生徒が全力を出し切って奇蹟を生むことに手を貸すのが
教師稼業であると、現役教師の知人が言っていたのを思い出した。
まさしく真矢先生じゃん。
こどもが認識すべきは
数字で出てくる力じゃなくて、
選ぶ学校の価値じゃなくて、
親や教師の顔色じゃなくて、
将来への不安でも将来設計でもなくて、
人間であること、そのものなんだろうな。
おそらくこんな抽象的なこと、
現場じゃ理想論だと笑われるだろうけど。
それにしてもトーンが重く暗かった。
それだけに本質掴んだこどもの顔が晴れ晴れとしてて
ちょっと救われた気になったんだけどね。
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