純粋培養

2006年11月14日 読書
「純粋」で引っ掛ったレヴュー。
何か懐かしいので。

「読みながら寝るのが至福」と
まるで聖書のようにこの書を絶賛する、
カント万歳!のセンセイがいらした。
世俗にまみれた私たち学生は
講読にてこずりながら、出席率で点数を稼ぎ
結局、カントの素晴らしさに気付くことなく…卒業…。
以後、さらに俗な生活を送る毎日には「哲学」は遠〜〜いものとなる。



幼い頃は、友人たちの家庭環境も似たり寄ったりで、
たとえ地元で金持ちや親が有力者の子がいたりしても、
本人はいたって呑気で、学校で土まみれ埃まみれになって
毎日楽しく帰宅する分には、大して変わらなかったように思う。
ホンマに家柄のいい子女は、小学校から私学に行ってたろう。

そういう意味では、私たちの年代(どの年代だ? と
訝しがられつつ…)は「純粋培養」の類だったと思う。
「その楽観主義はどこから来るのか分からんわ」と
ずいぶん年下のコに言われて、「自分も分からん」って
言っちゃうし、知らないことに気付かないまま、
中年の道を胸張って歩いちゃってるし。
社会の変化に対応してるようで、どこかちょっと無頓着というか。

こういう生き方が正しいかどうかなんて、死ぬときにしか
分からないと思ってる。だからと言ってそれを知りたいからと
自分で命を断つようなことは無い。本末転倒だわな、そりゃ。

今の20代と明らかに違うのは、その無頓着さかも。
他人様にとっては迷惑な性質かもしれないけれど、
物事に激しく拘らず、偏らないのは、晩年を生きるのに
得策なんちゃうやろか、と。

…なんて、ぼーっと思う驟雨の午後でした。

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