ザ・女の子
2007年5月24日この間すんごい久しぶりに会ったS子ちゃん。
知らない間に×1になっていて、しかも娘の学校の先生とデキてるそうな。
(久しぶりに会った人間にベラベラ喋ることか…?)
衝撃ではあったけれど、分かるような気がするなぁ、と
帰る道々独りごちていた私。
そもそも、中学の同級生なんだけれど、彼女はとてもモテた。
飛びぬけて美人というわけではない。スタイルも特にいいわけじゃない。
なのに…なにゆえか。
気が付けば男子生徒を手玉に取り、若い先生を巧みに操り、
なんだかすごいことになっていたような記憶がある。
それでもいじめられたり妬まれたり憎まれたりしなかった。
時代も今ほど陰湿じゃなかったってーこともあるけれども
なんか、今思えば魅力ある女の子やったんやなーと思う。
その後女子高へ進んだ彼女の「女の子の美学」は拍車がかかり
疎遠になりつつも一度高校時代に会ったときのいでたちを見て
ジャージで登校し、私服に下駄履き、ビーサンで授業を受けて
却って着飾ることに頓着しなかった私には衝撃だった。
ひらんひらんのワンピースにカゴバックだ。
しかもお蝶婦人のよなクリンクリンのカールがご自慢で。
(白鳥麗子(←これもたいがい古いキャラやな)もわずかに入ってる)
おしゃべりが好き、ひらひらしたものが好き、ピンクが好き、
なんせ可愛いものが好き。
そ・し・て。
15か16歳にして、「男にはのめり込まない、のめり込ませよ」が
男女交際の哲学であった。今なら刺されとるぞ。
今はのめり込ませている娘の担任が気の毒でならなかったよ。
昔の言動を思い起こしていて思ったのは、「女の子」然としている
ところが魅力だということ。
今も親としてやることはやっているけれども、一人の女としても
失わない部分がある。
そして彼女のいいところはそういう自分のキャラを人に押し付けないこと。
案外核の部分はサバサバしていたりもするので。
娘ちゃんもそんな彼女の影響を受け、カンペキな「女の子」だった。
小3だが、私たちと渡り合う会話を繰り広げる。
この親にして、この娘あり。
知らない間に×1になっていて、しかも娘の学校の先生とデキてるそうな。
(久しぶりに会った人間にベラベラ喋ることか…?)
衝撃ではあったけれど、分かるような気がするなぁ、と
帰る道々独りごちていた私。
そもそも、中学の同級生なんだけれど、彼女はとてもモテた。
飛びぬけて美人というわけではない。スタイルも特にいいわけじゃない。
なのに…なにゆえか。
気が付けば男子生徒を手玉に取り、若い先生を巧みに操り、
なんだかすごいことになっていたような記憶がある。
それでもいじめられたり妬まれたり憎まれたりしなかった。
時代も今ほど陰湿じゃなかったってーこともあるけれども
なんか、今思えば魅力ある女の子やったんやなーと思う。
その後女子高へ進んだ彼女の「女の子の美学」は拍車がかかり
疎遠になりつつも一度高校時代に会ったときのいでたちを見て
ジャージで登校し、私服に下駄履き、ビーサンで授業を受けて
却って着飾ることに頓着しなかった私には衝撃だった。
ひらんひらんのワンピースにカゴバックだ。
しかもお蝶婦人のよなクリンクリンのカールがご自慢で。
(白鳥麗子(←これもたいがい古いキャラやな)もわずかに入ってる)
おしゃべりが好き、ひらひらしたものが好き、ピンクが好き、
なんせ可愛いものが好き。
そ・し・て。
15か16歳にして、「男にはのめり込まない、のめり込ませよ」が
男女交際の哲学であった。今なら刺されとるぞ。
今はのめり込ませている娘の担任が気の毒でならなかったよ。
昔の言動を思い起こしていて思ったのは、「女の子」然としている
ところが魅力だということ。
今も親としてやることはやっているけれども、一人の女としても
失わない部分がある。
そして彼女のいいところはそういう自分のキャラを人に押し付けないこと。
案外核の部分はサバサバしていたりもするので。
娘ちゃんもそんな彼女の影響を受け、カンペキな「女の子」だった。
小3だが、私たちと渡り合う会話を繰り広げる。
この親にして、この娘あり。
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