春・秋は、書店でたくさんの京都本を見かける。
やっぱ王道なんだよなーと思うし、ここのところ商魂逞しいというか
目新しいビジネスが観光客を連れてきていることも確か。
老舗の企業努力って、次世代にかかわってくるんだろうとは思うけど
京都の場合はちゃんと根付いた伝統とか受け継がれたものの上に
立脚していないと成り立たないので、ただ単にアンテナショップとか
2号店とか新しいもの目指すだけではダメということなんだろう。
そういう意味では自由な部分と、どこか懐かくて厳しい部分を持つ店が
きっと流行っているんじゃないかと思う。
大阪に来て数年はずらっと並ぶ京都本を見ても何も感じなかったし、
観光に京都に行くという感覚が無かった。
そもそも住んでるときは「いつでも行ける」と思ってた。
(たぶん京都の友人諸氏はそうじゃないかな)
しかしこの数年は、ちょっと流行傾向も変わってきて、ガイド本を手に取ることも
しばしばある。そんで春や秋にはちょっと京都に心が逸る。
10年経った大阪の暮らしが、ついに「よそ者」的な意識を生んだのか。
「帰る」が「行く」なんていう表現になってしまったら、もうすっかり。
って、京阪くらいの距離でいちいち考えるこたあ無いんですけど。
やっぱ王道なんだよなーと思うし、ここのところ商魂逞しいというか
目新しいビジネスが観光客を連れてきていることも確か。
老舗の企業努力って、次世代にかかわってくるんだろうとは思うけど
京都の場合はちゃんと根付いた伝統とか受け継がれたものの上に
立脚していないと成り立たないので、ただ単にアンテナショップとか
2号店とか新しいもの目指すだけではダメということなんだろう。
そういう意味では自由な部分と、どこか懐かくて厳しい部分を持つ店が
きっと流行っているんじゃないかと思う。
大阪に来て数年はずらっと並ぶ京都本を見ても何も感じなかったし、
観光に京都に行くという感覚が無かった。
そもそも住んでるときは「いつでも行ける」と思ってた。
(たぶん京都の友人諸氏はそうじゃないかな)
しかしこの数年は、ちょっと流行傾向も変わってきて、ガイド本を手に取ることも
しばしばある。そんで春や秋にはちょっと京都に心が逸る。
10年経った大阪の暮らしが、ついに「よそ者」的な意識を生んだのか。
「帰る」が「行く」なんていう表現になってしまったら、もうすっかり。
って、京阪くらいの距離でいちいち考えるこたあ無いんですけど。
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