さもしい思い

2009年1月13日 日常
悪かった体調を三連休でリセットだ。
お粥三昧でした。
ずずずーというのは、ちと寂しい食事ですが
やはり目に見えない箇所のメンテも必要でして。



おみくじにあった対人運のこと。
信じるも信じないもアナタ次第なのではありますが
やはり日頃思っていることが年頭の言葉としてドドンと出てしまうと
自分の信念つーか、芯になるものは揺らいでないのかな、と錯覚したりします。
「錯覚」と言ってしまうと、それ違うんかもよ、なんていう考えもあると
思ってたりするわけで、結局揺らいでることも否めないのですが。

ここのところ、好き勝手やってきてた家族のねじれみたいなのが
少し戻ったような気がしている分、友人知人にする連絡も少なくなって
娘時代のように、やれ新しい店だ、やれスキーだ、やれコンパだと出向くことも激減し、
老いてくるにしたがって、お互いに踏み込むチャンスを延ばし延ばしにしてご機嫌を
伺いながら付き合ってきているのが現状と言うところ。

年賀状や暑中見舞いでも、たったハガキ一枚のことに相手の気持ちが見え隠れし
自分も抑制をかけているくせに、あーだこーだと勝手に思い込む。
社交辞令つーか、おざなりのご挨拶ってーのが美しく感じなくなってきた。

「期待してはいけない」
まあ、おのおの生活の様態が違うんだから、他人とぴったり合うことの方が
難しいとはずっと思ってきてるんだけども。
ただ嘘をつかれたり、裏切られたりするのはいつの時代もイヤだし、そんなら
やっぱ期待なんぞするべきではない、などと哀しく考えてしまうわけで。
神さまのお言葉だと今年は思って、さらに人間不信になるかーとさもしく思い
粥をすする連休でありました。

いやね、ネガティブじゃなくてね、なんちゅうか、過大に生きないというの?
エネルギーを無駄に使いたくないし、やっぱイケイケドンドンは性に合わなくて
しんどいんだな。
あまりスピード出したくないの。
動きの速い人にもついていくつもりないし。

年頭にあたりこんな風に考えてるわたし、さてさて年末に笑えるのかいな?





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