散策さくさく

2009年10月10日 日常
散策さくさく
こんな状態じゃいかん! とスイッチ切替のため
秋の風景を切り取りに。
穴場だと思って足を運んだら、
先日の台風で咲いたコスモスが倒れていた。
ごっそり。
六分咲きくらいだったので、持ち直して満開のときは
キレイな眺めになるんだろうけど、ちょっとがっかり。
→こんな寄り画像だけじゃ、いつ撮ったのかもわからん。

けど、歩いた歩いた。てくてくてくてく。
おかげで心も身体も調子よくなった気がする。
天気は抜群によかったし、風もここちよいし、で。
いつもの通り、地元の日帰り湯にすんごく長い間浸かってリフレッシュしました。
帰りは農産物の直売所で野菜と果物を安価でどっさり。
とても充実した一日でしたわ。



腕時計をしなくなって久しい。数年くらい経つか。
金属でも革バンドでも、ちょっと汗ばんだときに不快になるのがイヤだったのだ。
仕事中は、パソコンとか事務所の掛け時計とか、何かしら見るものがあり、
それ以外でも携帯電話もあるのであまり不便は感じない。
一応カバンの脇に、使ってた腕時計を懐中時計みたいにしてぶら下げてるが
外出した先でもそれを見る機会がずいぶん減ったような気がする。
それがどう、というわけではないが、最初の頃は時間を示すものが無かったら
すごく焦ってたのに、今、携帯を忘れ、時計をぶら下げるのを忘れて
時間を示すものがまったくなくなっても、さして気にならなくなってきたみたい。
ただ、待ち合わせとかはすごく気にするけどね。

何かの本で読んだ記憶があるんですが(ちょっとウロ憶えです)
【腕時計に対する認識=異性に対する認識】と心理的には考えられているそう。
束縛感というか、決められた感の象徴なんですかね?
きっちりはめてないと気がすまない人や、忘れることのない人は、
配偶者や特定の恋人がいて、安定した状態で、しかも、同じものをずっと
はめることに抵抗の無い人は、相手と別れるなんてまったく考えていないらしい。
反して、私のような場合「無くてもいいや=居なくてもいいや、事足りる」だそうです。
はめてない、と感じた頃にこの話を思い出して、当たってると自分自身は思ってはいました。
 
高価か安価か、はたまたブランドものかそうでないか、いろんなものを付け替える、
金属バンドか革バンドか、保存の仕方などなど、腕時計にまつわることで、
その人の性質が分かるらしい。
ま、モノに対する認識って、本当にその人の性質出ますからね。




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