リケジョさんの凛とした会見は、
依然、毎日なんだかんだと報道されている。
研究職の友人に聞くと、論文は身を削るようにして
作り上げていくものです、と。
分野によって論証の仕方など違うけれども
最終的には所属の上司や教官がチェックしたものが
世に出るしくみなはずだから、おそらく細かく厳しく
多くの人の手に渡り、目を通して成立するもの。
だから、チームというならばチームの総意として
研究所というならばその名と権威に恥じないように
研究の成果は発表されるべきです、とも。
コピペは、今でこそツールとして存在しますが
昔は無かったもので、例えば修正テープだって出だした頃は
(今でも、かな)手書きの書類には通用しなかった。
でも、今の若い人たちにとっては極々普通なツール。
使うことの罪悪感など無いんじゃないでしょうか。
そういう規定をするのかどうか、それに則るのかどうか、
きっと研究職におけるヒエラルヒーや、年齢的な段階で
文化や習慣の溝が大きく存在していて、道徳や倫理も
きっとお互いに同位で通用してないんじゃないか。
おばちゃんになってから大学の末席にいて学生をやってた身としては
研究室の先生方が、学生の論文の提出について嘆かれてて、
ワープロからパソコンに移行してきた時期に、こんな将来を危惧して
「これはどうにか対策を」と言っておられたことを思い出します。
渦中の彼女の経歴は、こういう基本の基を踏まえて重ねられたもので
あることを信じたいし、研究所のチェック体制もどうかな、と感じます。
実験をともなう分野のことなら、手法などを公開して再現し成功すればいい。
それだけのことなのに、なんで渋ってるのか。
おばちゃんの感想はこんな感じ。
とにかく、頑張ってほしいよね。未来ある研究内容なんだし。
依然、毎日なんだかんだと報道されている。
研究職の友人に聞くと、論文は身を削るようにして
作り上げていくものです、と。
分野によって論証の仕方など違うけれども
最終的には所属の上司や教官がチェックしたものが
世に出るしくみなはずだから、おそらく細かく厳しく
多くの人の手に渡り、目を通して成立するもの。
だから、チームというならばチームの総意として
研究所というならばその名と権威に恥じないように
研究の成果は発表されるべきです、とも。
コピペは、今でこそツールとして存在しますが
昔は無かったもので、例えば修正テープだって出だした頃は
(今でも、かな)手書きの書類には通用しなかった。
でも、今の若い人たちにとっては極々普通なツール。
使うことの罪悪感など無いんじゃないでしょうか。
そういう規定をするのかどうか、それに則るのかどうか、
きっと研究職におけるヒエラルヒーや、年齢的な段階で
文化や習慣の溝が大きく存在していて、道徳や倫理も
きっとお互いに同位で通用してないんじゃないか。
おばちゃんになってから大学の末席にいて学生をやってた身としては
研究室の先生方が、学生の論文の提出について嘆かれてて、
ワープロからパソコンに移行してきた時期に、こんな将来を危惧して
「これはどうにか対策を」と言っておられたことを思い出します。
渦中の彼女の経歴は、こういう基本の基を踏まえて重ねられたもので
あることを信じたいし、研究所のチェック体制もどうかな、と感じます。
実験をともなう分野のことなら、手法などを公開して再現し成功すればいい。
それだけのことなのに、なんで渋ってるのか。
おばちゃんの感想はこんな感じ。
とにかく、頑張ってほしいよね。未来ある研究内容なんだし。
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